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NAKASHIMA MIYAMOTO ATOORNEYS AT LAW
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to be a Rock and not to Roll 宮本 督
野音にて
 銀座の事務所から霞ヶ関の裁判所までは、いつも歩いて行く。
 15分くらい。
 途中、日比谷公園を抜ける。ビル街の中の緑。公園の端には、「野音」と呼ばれる野外音楽堂がある。
 ボクは、中学生から高校生になって浪人生になり、その後、大学生になる間、ほぼ毎年1回、夏休みのド真ん中、この野音に来ていた。恒例となっていたRCサクセションの夏のコンサートのためだ。
 先日、忌野清志郎の訃報に接し、鉛を飲み込むような気持ちで最初に思い出したのは、RCの88年夏の野音でのコンサートだった。

 この年、東芝EMIが、原子力発電所反対ソングを含むRCのニューアルバムを発売中止にした。86年のチェルノブイリ発電所の事故を受けて、原発問題がまだまだ旬な話題だった頃のことで、これに、大手レコード会社が親会社の関連事業への反対ソングに対して圧力をかけるという「言論の自由」問題が絡まって、このことは大きな社会問題にまで発展した。
 この年の野音のコンサートは、この発売中止騒動の直後のことだった。
 暑い日だった。コンサートは、いつものとおり夕日が沈みきらない時間に始まった。この日の幕開けは、レコード会社を批判するボブ・ディランの曲のカバーで、清志郎は、その後も、モノの言えない社会に対する怒りを爆発させ、また大きな権力組織と戦う孤高のロックバンドという紋切り型の報道しかしないマスコミに対しても憤りを容赦なく向けた。「退屈なジャーナリズムや軽薄なヒロイズムに踊らされるくらいなら、あの発電所の中で眠りたい」とか、そんな歌。
 楽しみに来ていた観客はほとんど度外視して、というか、その日の観客のことをパンダの見物人ように感じたらしく、ヒット曲を歌うようなファンサービスもなく、3時間近くに渡り、怒りをたたきつけるだけの異様な雰囲気のコンサートだった。「すごい」というか、はっきり言って「メチャクチャ」だった。ボクは、ロックコンサートには、数百回は足を運んでいるけど、あんなに後味の悪いコンサートを体験したことはない。

 それから数年後、清志郎は、RCとしての活動を休止させた。いつの間にか、あの独特の毒気や危険な嫌らしさも消えて、「パパの歌」とか、どーでもいいようなポップソングを歌い出して、ヘルシーな自転車愛好家になっていった。
 ボクは、だんだん、清志郎の歌を聴かなくなり、コンサートに行く回数も減っていった。
 2006年。清志郎は、夏の野音のコンサートの前に、咽頭ガンを公表して、それ以後のコンサートをすべてキャンセルして闘病生活に入り、昨年(2008年)2月、武道館コンサートで復活した(はずだった)。そしてこのコンサートが、ボクにとっての最後の清志郎のコンサートになった。

 あの夏のコンサートの日。ボクは18歳で、清志郎は38歳だった。あれから20年経って、ボクが38歳になって、清志郎は58歳で死んだ。
 38歳のボクは、あの日の清志郎より、ずっと「大人」だ。
 ボクには、怒りもなく、目標や夢も特にない。期待もしないから失望もしない。女の子に心動かされることもない。悲しむこともあまりない。清志郎の死のニュースだって、ガンの再発が報じられていたせいもあるけど、驚くほど冷静に受け止めた。それに、そんな心の動きや揺れがあったとしても、それを、何かに叩きつける気力も、多分、もうない。
 ボクは、何かをあきらめて、心静かに、落ちついた毎日をやり過ごし、都会の片隅で、小市民にふさわしく暮らしている。

 先日、裁判所の帰り、回り道をして野音に寄ってみた。まだ5月だけど、真夏のようにとても暑い日だった。
 誰もいない音楽堂を柵の外からのぞき込んでみると、ステージの上を走り回る清志郎のことだけじゃなく、初めてRCを観に来てドキドキしてる中学生のボクや、あの88年夏の当惑した高校生のボクや、90年夏の雨上がりのコンサートで大はしゃぎしてる大学生のボクのことが思い出された。ふと気付くと、ボクは、静かに「トランジスタ・ラジオ」を口ずさんでいた。
 初めて、少しだけ泣いた。
(2009.5.29)
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