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弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2012.11.29

高い目標を掲げては・・・

 来年2月末の東京マラソンに向けてトレーニングを再開している。
 昨年秋の湘南国際マラソン、今年春のかすみがうらマラソンと、2レース続けての大惨敗の後、ヒザをケガしてしまったり、回復したと思った頃に痛風の発作に見舞われたりして、ランニングから遠ざかってしまっていた時期もあったのだが、ようやく、もう一度、ねじを締め直してみようかという気分になってきた。
 連敗の惨劇から学んだことがある。
 それは、フルマラソンにおいては目標設定が命。要。肝。ということ。
 例えば、マラソンを4時間(キロ当たり5分40秒)で完走できる力の人がいるとして、その人が、目標を3時間半にして、実際、そのペース(キロ当たり5分)で走り始めてしまうと、どんなに頑張っても、間違いなく30キロよりは手前で大きく失速することになる。ゴールタイムは4時間を大幅に超えてしまうことになり、それだけではなく、自信も傷付けられモチベーションも失ってしまう。マラソンの後半を、矢折れ刀尽き、それでも歩くことだけはするまいと思いながら、とぼとぼと走るあの惨めな時間は、経験したことのない人にはなかなか理解してもらえないと思うけど、そこには、マラソンを完走した達成感や充実感は微塵もない。ゴール後も、ただ何ヶ月もかけたトレーニングが無駄に終わってしまった徒労感と、やり場のない敗北感と、オーバーペースへの後悔を抱え、全身筋肉痛で足を引きずりながら背中を丸めて帰路に着くことになり、しばらくの間は、もう一度頑張ってみようというような気分にはとてもなれるものではない。
 その昔、子供の頃に通っていた学習塾のキャッチフレーズは、「高い目標を掲げよ」だった(と思う)。もちろん、実力を伸ばすことに主眼を置く場合、高い目標もいいのかも知れないが、本番当日は厳禁。御法度なのだ。一校しか受験できないなら、Bランクの実力しかないのに、Aランクの学校にだけ願書を出してはいけない。そうすると、Bランクの学校はもちろん、Cランク以下の学校にも進めないことになってしまう。
 ただ受験勉強の場合は、模擬試験や勉強仲間との比較等を通じて、自分の実力を客観的に把握することが可能なわけだが、マラソンは、自分が、3時間半の力なのか、4時間の力なのか、4時間15分(キロ当たり6分)の力なのか、把握することが容易ではない。市民ランナーは、日常の練習で42キロなんて走っていられないし、普段、一人でトレーニングをしているのが通例だからだ。練習段階でフルマラソンを走らないのは、それだけの時間の確保が難しいという点もあるが、むしろそのような練習からのダメージの回復に時間がかかり、トレーニングをする上ではかえって逆効果になってしまうからということもある。
 というわけで、多くのランナーは(もちろん私も)、客観的な基準を持たないまま、ただ何となく目標(というか希望)のゴールタイムを決め、それを42で割って、スタートラインに立つ。さらに悪いことに、当日は、周囲のランナーのペースに飲み込まれてスピードが上がり、体も軽く感じられて、前もって決めていたはずのペースすら(それも主観的なものに過ぎないのだが、それさえも)守らず、奇跡と根性を信じてオーバーペースのまま走り続けることになる。そして、いつものシナリオを再現するように、あの30キロ地点を迎える。
 東京マラソンでは、実力に見合った目標をクールに設定すること。それが何より肝要。そうは言っても、客観的な基準がないので、難しいのだけれど。で、本番では、決めたペースを、ひたすら守ること。フルマラソンについて誰かが言っていたのだが、「レースは、トレースである」と。事前の計画を、その通りなぞるのが大事。大人ならデキルはずと。
 まあ、ぼちぼち、頑張ります。
 皆様においても、よいお年を。