銀座数寄屋通り法律事務所[旧 中島・宮本・溝口法律事務所] >HOME

弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2014.08.20

さようなら、朝日新聞

 この夏、ボクは、40年以上に渡って続けてきた習慣を一つ止めちゃった。それは、朝日新聞の購読。
 物心ついた頃から、実家が取っていた新聞は、朝日と日経。ただ、日経の朝刊は、父親が出勤時に持って行ってしまっていたから、ボクにとっての新聞は、幼い頃から朝日だった。んで、ボクって、早熟だったから、小学校の低学年の頃からは朝日を読み出していて(確か)、中学生か高校生の頃には、もう、この新聞って、なんだか偏った大人がラリってトリップした感じで書いてるんじゃないの、なんて思っていた(ような気がする)。そして、そのトリップの度合いってゆーか、ラリりりるレれれ~の感じが、年を追う毎に大きくなっていってて、特にここ10年くらいは、飛躍的にズレが大きくなって来てるなって感じてた。
 んで、それだけじゃなくて、大人になってからのボクは、弁護士をしているもので、たまぁぁには、取材対象として、朝日を初めとする各種マスコミの記者さん達と、いろいろやり取りする機会もできたんだけど、朝日の記者さんって(どこの記者でも似たり寄ったりだけど)、勉強不足なのにやたら強気で、自分が書きたい記事の内容に沿ったコメントを引き出したいって感じが露骨で、こっちはこっちで、それだけは言わないと心に決めて頑張るものだから、結構、無意味な電話での応酬が繰り返されたりしたもんだ。そんなバカ丸出しの取材を受けて書かれた記事は、もちろん、書いた人が何も分かっていないこと以外には何も分からないっていう、目も当てられない内容になっていることが多かった。
 そんな個人的な体験は取りあえず脇に置いておくとしても、それでも朝日の紙面には、ヒドい記事が多いなあと思っていた。具体例は差し控えるけど、・・・ってわけにもいかないか。じゃあいくつか挙げると、例えば、地震の後の反原発キャンペーンはホント見苦しいし、大阪の橋下くんの出自報道(子会社だけどさ)も、メチャクチャだったよね。
 それでも朝日の購読を続けていたのは、惰性ってこともあるけど、学ぶべき事柄もないわけじゃないかもねって思っていたから。どーゆーことかって言うと、まあ、あんまり正直に書くのもナンだけど、この国の大衆とかいうのは、いつも無意味で無根拠なのに横並びなご不満を抱えていて、そういった連中は・・・(ここ、ちょっとだけ自粛ね)・・・、そーいった、一人一人に分解すると耳を傾ける価値がないような、それはそれは大層リベラル(笑)なお考えとかも、朝日には、世論とかいうレベルで掲載されているから、金を払って、そーゆーのをお勉強するのも、まあ仕方ないかなと思って、購読を続けてきたわけ。惰性だけじゃなくてね。
 前置きが長くなりました。ゴメンよ。購読を止める切っ掛けになったのは、今年(2014年)8月に掲載された従軍慰安婦問題についての特集記事。エイプリルフールかと思ったよ。あまりのレベルの低さに、暑さを忘れて脱力しちゃった。
 問題の記事は、8月5日付朝刊。従軍慰安婦問題を取り上げた自社の報道を検証する特集記事「慰安婦問題を考える 上」。その中で、日本軍が韓国・済州島で女性を強制連行したっていう吉田清治(故人)の証言に基づく記事について、「証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」ってした。朝日の一連の従軍慰安婦報道が、韓国世論に波及して、いわゆる河野談話に至ったことは皆さんご存知のとおり。この朝日の報道の最大の根拠が、この吉田証言(「慰安婦狩り」とかいうやつだね)だったわけだけど、これが嘘っぱちなことは、もう何年も前から広く言われていたことで、まあ自らの非を認めるなんて、今さらジローだけど、ちょっと偉いじゃん、って思っちゃ・・・ダメだった。そこは天下の朝日。謝ったり反省したりなんて絶対にするはずがないもんね。
 朝日の特集記事は、「日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです。」と続く。お馬鹿さんねぇ、まったく、本気なのかな。問題の本質は、女性の人権といった一般論なんかじゃない。日本軍による強制連行だよ。だから外交・国際問題になったんじゃないの?さらに、「挺身隊」を持ちだして「研究が進んでいなかったため」挺身隊と慰安婦を同一視したとか(女子挺身隊は女性を工場に動員する組織。売春と関係ないのは当たり前で、そんなの研究の問題じゃない。)、読売も毎日も産経も誤報をしていたとか(そー来るか?ただし、他紙は、早期に吉田証言が架空だったことを認めて、とっくに謝罪しているよ。)、もー、まったく救いようがない。
 脱力しながら、翌々日から海外旅行に出掛けることになっていたボクは、新聞販売店に電話をして、不在中の新聞を取り置いてもらうことにした。ついでに、ふと思い付いて、朝日の購読を止めるにはどのような手続を踏めばいいかを問い合わせたところ、ななななんと!、その電話だけで事足りるとのこと。おー、ラッキーでハッピー。グッドバイ、朝日。なかなか潔いじゃないか。ホントはいいヤツだったのかもね。もう、どうでもいいけど。
 こうして、ボクと朝日との40年以上に及ぶ付き合いは、あっけなく終わりを告げたのでした。さようなら、朝日新聞。ちーん。
 さて、朝日を読んで育ったボクは弁護士になって、主に企業サイドの依頼を受けて仕事をしている。今度、もしクライアントから、ロングセラー商品の欠陥を発表しなければならないようなタイミングで相談を持ちかけられたら、社長には、「当時の研究を前提とする技術水準では仕方なかった」とか言わせて、さらに、「ライバル社も同様の商品を販売していた」とかほざいてもらおう。でもそれだけじゃ足りないかな。記者会見には同席させてもらって、ボクが自分で、「商品の欠陥よりも大きな文脈でとらえられるべきことが問題の本質で、そのことは社会全体が反省すべきだ」なんて洒落たことも言っちゃおうっと。他紙にはなんて書かれるか知らないけど(袋叩きだよね、多分)、朝日だけは褒めちぎってくれるよね。そのときは頼むぜぇぃ。よろしくね。

宮本の本棚から

「2020年新聞は生き残れるか」長谷川幸洋

 朝日新聞とは関係ないけど、大手マスコミの自己批判の著。
 東京新聞記者(論説副主幹)が、新聞業界、新聞記者について、自己反省と将来の有り様への危機感を綴る。大学の学部レベルの基礎的な知識も欠いたまま、記者クラブに所属して政府発表情報の垂れ流しに依存している状況(特に経済部)を踏まえ、記者たちを「官僚のポチ」と手厳しく批判している。
 驚かされたのは、震災復興予算が無関係な公共事業に流用されていた問題の発覚の経緯。この問題は、もともとフリーランスの週刊誌の記者によって明らかにされたのだが、その記者は、特別な情報源を持ち合わせていたわけでも、危険な取材を経て事実を明らかにしていったわけでもなく、ネットに公開されていたデータを基に、そのうち疑問のある項目について電話取材しただけだったという。要するに、誰でも閲覧可能な情報だったのに、大手メディアは、どこも記事にできなかったというのである。
 これまでの新聞記者は、取材相手の公務員に信頼されることで、情報をもらうように教育されてきた。しかしそうすると、その情報源とケンカすることができなくなるから、政府批判等はやりにくくなるだろう。本来的なマスコミの存在意義は、事実報道にあるのか、論評・論説にあるのか、といったことも改めて考えさせられる。
 難しい話しは一つもなく、一般には知られていない報道機関の内実の紹介もあって、オススメです。