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弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2003.03.23

苔むさぬ転石楽団

 A rolling stone gathers no moss. ― 転石、苔を生ぜず。高校生の頃、暗記させられた。
 でも、日本語の「転石、苔を生ぜず」の方は、人間は一つの場所に長くいてこそ貫禄や存在感(=苔)がうまれる。ころころ職場とかを変わっているようではいつまでも大成しない、っていう意味だけど、英語の"A rolling stone gathers no moss"ってのは、苔が付くとは一つの場所で飼い殺されること、ゆえに人間はじっとして苔が付いてしまわないよう動き続けなければならない、という意味だと教わった。
 しかし、苔のことはどうでもいい。巌になったサザレ石にでもむしてりゃいい。
 私にとって、「転石」は、若々しいエネルギーに満ちた理想の生き方の象徴だ。それは、いつまでも動きを止めず、勢いを加速度的に増し続け、決して同じところに止まらない。
 久しぶりに、この退屈な国に、「転石」がやってきた。
 結成40年のローリング・ストーンズ。芸術を気取らず、文化にオモネったりもしない。ただのロックンロール(It's only R&R)。でも、ローリング・ストーンズの世界は、そこに一歩足を踏み入れれば、限りなく深く、広く、大きな宇宙がある。
 はじめて聞いたのは、小学生のときだった。深夜ラジオから流れてきた「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」は忘れられない。アイドルポップスと、演歌と、せいぜい学校で聴かされるクラッシックだけしか知らないお子様は激しい雷に打たれた。ラジオ番組を録音したカセットテープは宝物になった。
 あれから、20年以上。私は、いつでもローリング・ストーンズとともにあった。ただ訳もなく楽しくて仕方なかった頃も、一日生き延びればそれだけ確実に疲労が堆積していくだけと感じていた頃も、服を脱ぎ捨てるようにこの肉の体を脱ぎ去りたいと願っていた頃も。そんな私は、3月10日から21日まで、日本武道館→横浜アリーナ→東京ドーム2公演→大阪ドーム2公演と、クソ忙しい中、すべての日本公演を聴きに廻ってみた。
 今回のワールドツアーには、プロモートするニューアルバムもなく、いつものようなド派手なセットもない。連中は、ただ、歌い、楽器を演奏する。ブルースへの傾倒から、ロックというジャンルを超え、ジャズをレゲエをパンクを取り込んでいったローリング・ストーンズ結成以来の姿。読売新聞がいうとおり、「ストーンズはいつの時代もあらゆる才能を吸収する有機生命体なのだ」。彼らは、音楽の誕生以来、脈々と引き継がれる行為を重ね、鍛え、磨き抜くだけ。演出らしい演出もなかったことで、今回のコンサートでは、ローリング・ストーンズの真価を実感させられた。限りなく広く、深く、大きな宇宙。日経、毎日、読売の各紙が絶賛した「ミッドナイトランブラー」の演奏。ヒット曲はいくらでもあるのに、このような曲が大新聞でそろって取り上げられること自体、奇異なことのはずだが、日経のレビューにあったとおり、それは、「ストーンズが古典であると同時に、時代の最先端を走る存在であることを証明する演奏であった」。
 考えてもみて欲しい。結成40周年である。60年代の金メダリストが、21世紀を迎え、若い連中と一緒に走って、未だに入賞していることに他ならない。ミック・ジャガーもキース・リチャーズも59歳。変わらない体形にルックス。娘よりも若い女の子達が目を潤ませている。日本の企業では役員クラスか間もなく定年。東京ドームでなくてもいい。2時間を超えなくていい。あなたは、カラオケボックスで1曲だけでも、新入社員達をうならせる歌を歌えるだろうか。
 連中は、コンサート終盤、巨大なメイン・ステージから、客席の中央に設けられた小さなサブ・ステージに移動し、狭いステージで肩をすり合わせるように演奏した。その姿は、バンド結成当時を連想させる。21世紀のメイン・ステージから時代を遡る設定か。大阪ドーム公演では、そのサブ・ステージで、ボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」が演奏された。転がる石のように。苔が付いてしまわないように・・・。子供の頃、祖母に、「お婆ちゃんはいつからお婆ちゃんになったの?」と聞いたことがある。祖母が、笑いながら「みんなだんだん、お婆ちゃんになるんだよ。」と教えてくれたことを思い出す。不覚にも涙が出そうになって少し慌てた。みんなジジイになっていく。だんだん、ジジイになる。大人になってからの日々。面倒ごとを避け、様々なことを胸の奥底にしまい込む。彼らの音楽は、そんな心の隅っこにしまい込んでいた何か得体の知れぬものを刺激するのだ。
 ジャンピング・ジャック・フラッシュのイントロが武道館の暗闇を切り裂いて始まった日本公演は、最終の大阪ドーム公演のアンコールも、あの日の少年に雷を浴びせたジャンピング・ジャック・フラッシュで終わった。
 大阪最終公演の終演後、タクシーをつかまえてホテルに向かう道中、信号待ちで隣に黒塗りのハイヤーが止まった。助手席には屈強の白人ボディーガード。後部座席には、ジャンピング・ジャック・フラッシュの衣装のままの御大。窓を開けて手を振る私には目もくれず、ミック・ジャガーは、じっと前方を見据えていた。その先には、50年目の自分たちが見えていたように思えた。