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弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2012.10.29

私の中のオタク

 弁護士には、偏執的な人が多いように思う。仕事ぶりもそうなのだが、知り合いの弁護士たちの話を聞いていると、趣味の領域でも、やたらとマニアックなオジサンが多い(オタクな女性弁護士にはお目にかからないけれど。)。
 私も、ご多分に漏れないようで、一度凝り始めると、徹底的にこだわってしまったりする。好きなものは、ほんとに好き。徹頭徹尾、気に入る。その代わり、興味がないものには、まったく興味を持てない。例えば、あくまでも一例だけど、テレビを見ないからか、AKB48はもちろんのこと、野田内閣も、ほとんど個体識別ができない。
 そんなわけで、私は、中学生や高校生だった時分から、ローリング・ストーンズと村上春樹の熱狂的なファンだった。今でもそう。当然のことながら発表されているアルバムや書籍はすべて持っているし、四半世紀以上の歳月の間、何度も何度も繰り返し聴き、繰り返し読んだ。両方とも創作活動の期間が長いから、作品も相当な数に及ぶ。ストーンズについて言えば、各メンバーのソロ作品も聴くし、自伝も読む。日本語で読んで、英語版も読んだ。職業柄大きな声では言えないのだが、昔のコンサートの隠密録音(いわゆる海賊版)も××××してしまったりしていた(法改正前です。ホントです。)。1975年7月のロサンゼルス公演なんて、もうホント、最高。あまりの迫力にうっとりしてしまう。...バカです。
 彼ら自身の作品だけではなく、ストーンズや村上についての評論や、彼らのスタイルを踏襲するバンドや作家のCDや本にも耳を傾けたり、目を通したりする。両方とも、あまりにメジャーなアイコンなので、こういったものも莫大な数に及ぶ。下らないものも少なくないけど、物真似自体が面白いことも多くて、ぜーんぜん、飽きない。
 お陰で、ストーンズや村上についても、相当な物知りになった。例えば、村上についての雑学的な豆知識を一つ。
 村上の初期作品に、「納屋を焼く」という短編がある。語れと言われれば、ストーリーやその他のディテールやその解釈なんかについても長々と語れるけれど、ここでは、このタイトルに注目。フォークナーにも同じ題名の短編小説があるのだ。そして、村上は、そのことを、自ら解説したことがある。「全作品第1期」という全集の第3巻の別冊付録で語られる説明は次のとおり。

 これは「納屋を焼く」ということばから思いついた小説である。もちろんフォークナーの短編の題だが、当時の僕はあまり熱心なフォークナーのファンではなくて、この「納屋を焼く」という短編を読んだこともなかったし、それがフォークナーの短編の題であったこと自体知らなかった。どこかで耳にしたことがあるような気はしていて、フランス映画か何かのタイトルかなと思ったような記憶がある。もしフォークナーの短編の題だとわかっていたら、多分こんな小説は書かなかったと思う。

 もっともらしく聞こえるけど、実は、この説明は嘘なのである。その証拠は、当の「納屋を焼く」の中にある。
 主人公の「僕」は、あるカップルを出迎えるために行った空港で、到着の遅れた飛行機を待つ間、本を読んで過ごすのだが、そこにはこうある。

 飛行機が着くと――飛行機は悪天候のために実に四時間も遅れて、そのあいだ僕はコーヒー・ルームでフォークナーの短篇集を読んでいた――二人が腕を組んでゲートから出てきた。

 ほらね。そして、フォークナーの短編集(例えば新潮文庫)には、もちろん「納屋を焼く」が収録されている。
 しかし、このトリビアはこれで終わらない。
 村上が(嘘の)自説を語った「全作品第1期」第3巻に収録された「納屋を焼く」では、「フォークナーの短篇集を読んでいた」の箇所が、「週刊誌を三冊読んだ」と訂正されて掲載されている。この嘘が隠蔽されてさえいるのだ。
 どう?細かい?
 私って、やっぱりオタクかな?
 ただし、この発見は、私のオリジナルではなくて、実は、村上が、どうしてこのような「嘘」を述べたのかについても、文芸評論家とかによる解説も何通りかあったりする。上には上、そして下には下がいるのだ。
 こんな局所的な話題は誰も喜んでくれない。だいたい、大抵の人は、村上の「納屋を焼く」を読んだことすらないだろうし、フォークナーなんて一冊も読んでないだろうし。もちろん、私だって誰かとこんな話しをする積もりもなくて、一人の休日には、40年前とか50年前とかに録音されたストーンズの古いアルバムをターンテーブルに載せ、中学生の頃から何度も読んできた村上の小説を読み返したりして過ごす。ストーンズが「ブラウン・シュガー」を作曲した時の年齢(ミック・ジャガーは27歳だった。)も、村上が「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を書いた年齢(36歳)も過ぎたけど(そんな日が来るなんて、想像すらしなかった)、思えば、一人の時間の過ごし方は、高校生の頃と何も変わっていない。
 そんな風にして、私は年をとっていく。
 ミュージシャンも小説家も年をとっていく。