銀座数寄屋通り法律事務所[旧 中島・宮本・溝口法律事務所] >HOME

弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2015.06.01

LOVE PSYCHEDELICO(ラブ サイケデリコ)

 音楽を聴いていて、例えば、B・スプリングスティーンとか、ポール・マッカートニーとか、日本人に分かりやすい例を挙げるとすれば、サザンオールスターズとかですかね。初めて聴いた曲でも、「あっこれサザンだな」「ポールだな」って、気付くことってありますよね。もちろん、よく知っているあの声で歌われているってこともその要因の一つかと思いますけど、それ以上に、コードの選択やメロディの進め方に、その作曲者ならではのクセというか特徴が感じられて、それがその曲のサインというか識別標識というか、そういう役割を果たして、結果、聴いたことのない曲でも、なんだか既視感(というか既聴感って言うべきですね)を感じてしまうんだと思います。
 そして、その特徴的な符牒(のようなもの)が、リスナーにとって好みのものである場合、聴いている曲のメロディラインの中に、そんなシグネチャーを見つけられるのはとても幸せな瞬間になるでしょう。上手く説明できませんが、そんな、ハッとさせられるような、オッと思わせるような固有のテンションが、リスナーの神経系に、一種の麻薬的な快感を与えるのかも知れません。
 前置きが長くなりました。LOVE PSYCHEDELICO(ラブ サイケデリコ)の音楽が、最近の私にとっての、その麻薬的な快感物質です。彼らのことを知らない人のために、若干の説明をしますと、ボーカルの女性とギターの男性の二人組の日本人のデュオで、デビューして15年、これまでに6枚のオリジナルアルバムを発表しています。
 私自身、アルバムはすべて所有していますし、結構な頻度で聴いています。ライブにはもう10回近く足を運んでいます。聴く度に、彼らなりの心地よいテイストを感じて嬉しくなります。大ファンといってもいいのだろうと思います。
 でも、普段、読書をしながらとか、ランニングをしながらアルバムを聴いているためか、一曲一曲については曲名すらよく知りませんし、私なりの好みの曲はありますが、どれがシングルカットされて、どれがヒット曲なのか(そんなものがあるのか)もよく知りません。いまだに、この男女二人の名前も知りません。失礼ながら、美女でも美男でもありませんので、街中ですれ違うことがあっても気付かないと思います。
 考えてみますと、こういう音楽の楽しみ方って、子供の頃にはありませんでした。好きなバンドであれば、メンバーの名前は全員覚えていましたし、様々なエピソードを雑誌で読んだりするのも楽しみの一つでしたし(インターネットなんてなかったですから)、どのアルバムやらどの曲やらが全米ナンバー1になったとか、そんなことも詳しく知っていたものです。これに対し、LOVE PSYCHEDELICO(ラブ サイケデリコ)については、音楽活動以外の彼らのプライベートについてはまったく何の興味がありませんし、それどころか、曲やアルバムの誕生にまつわる裏話とかも、特に知りたいとも思いません。純粋に、楽曲そのものを楽しんでいるわけで、こうした音楽との向き合い方の変化は、もちろん、LOVE PSYCHEDELICO(ラブ サイケデリコ)側の問題ではなくて、私自身が、年を重ねたということなのでしょう。
 先日(5月30日)、彼らの15周年記念ツアーの東京公演に参加してきました。昭和女子大学の中にある人見記念講堂という中規模のホールで2時間ちょっとのライブ(ツアーバンドのドラマーは、なんと高橋幸宏でした)。多くの曲で、大好きな「あのドライな感じ」を存分に楽めて、ちょうど終演のタイミングで発生した(らしい)大きな地震にも気付かないくらい盛り上がってしまいました。
 最近、ベスト盤が発表されたそうです。70年代のアメリカン・ロックが好みの方は、間違いなく「ハマる」と思います。試してみてはいかがでしょうか?

宮本の本棚から

「勝負師の妻」藤沢モト

 囲碁棋士の藤沢秀行を知らない人っているだろうか?ギャンブル、億単位の借金、愛人たち、アル中、二度に渡るガン闘病と、波乱万丈の滅茶苦茶な生涯を送り、2009年に亡くなった不世出の天才棋士である。囲碁界最高位の棋聖のタイトルを6連覇していた間、七番勝負の直前には断酒をして、禁断症状に苦しみながら番勝負を戦い、終わるとまた翌年の棋聖戦まで酒びたりになっていたとか、この6連覇の間に、借金で自宅を競売にかけられたとか、愛人宅から自宅への帰り方が分からず、妻を迎えに来させたとか、エピソードには事欠かず、彼自身の著作「野垂れ死に」も痛快な作品なのだが、今回取り上げたのは、そんな男について、奥さんからの視点で書かれたノンフィクション。
 奥さんの方も、藤沢秀行に負けず劣らずの豪傑と感じさせる。特に、愛人たちや、愛人と藤沢との子との関係も淡々と語られているのを読むと、こういう生き方を真似するなんて、自分にはまったく無理だって思う。凡人には凡人なりの日常があって、コツコツせっせと働かないとね。