銀座数寄屋通り法律事務所[旧 中島・宮本・溝口法律事務所] >HOME

弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2004.12.26

ネゴシエイターとして

 事実関係は、こうなってますから、こういうことで、じゃあ法律に則って、みんなよろしくねって、そんな感じで、世の中が廻っていて、それで、弁護士は、その法律を知っている人で、いろいろ、交通整理するみたく法律の説明をして、それで、夕方になって、遅くても7時とか8時とかまでに終わって、じゃあ、今日も一杯やって帰るかねえ、っていう感じで、日々を送りたいんですが、全然、そんな感じじゃありません。その原因はいろいろありますが、そんなことを説明するのは、またまたまたまた今度にするとしまして、結果として、弁護士って、一日中、交渉事に明け暮れているってことになります。要するに、1+2は3だから、あんたが、そっちの人からお金もらって、それで終わりだよ、ってことにならなくって、少なくとも弁護士のところに来る案件って、法律がこうなってるから、こうはこうで、それはそれでいっちょアガリっていうことはなくって、あんたは、こっちが1じゃないというし、そっちの人は、足し算じゃなくて、この場合は掛け算を使うべきだというし、まれに、1+2は3じゃなくて5だとかいう人もいて、って、例え話をしてたら、かえって話がわかりにくくなってるってドーユーことか、とも思いますが、要するに、世の中、いろいろ、交渉が必要なわけです。って、それだけのことかいな。
 でも、ほんと、いろんな人がいます。弁護士になってすぐの頃って、それに、まず驚いたものです。別に、ふつーのオッサンに限らず、弁護士にも、メチャクチャなこという人がいるし、裁判官だってそう。スゲー人いるんだよ。特に、簡易裁判所。実名出したい。ホント、簡易裁判所って、頭おかしい裁判官の吹き溜まりだよ。んで、仕方ないから、交渉交渉。日々交渉。民事訴訟規則にこう書いてあるじゃねえか、裁判官、てめー公僕、下級公務員、どっちが税金払ってると思ってんだ、ざけんじゃねえ、かかってこい...って、言いたい。でも、言うのは簡単なんだけど、んなことしたら、引き受けてる事件がボロボロになるから、まあ、書記官さんとかを通して、やんわりと文句を言ったりするに止めるわけですが、そんなわけで、簡易裁判所とはいえ裁判官にだって、裁判所の利用者(弁護士を含む)に対して、ほんとクソのようなことをする輩がいるわけですから、交渉相手には、ほんと例外なく、ありとあらゆる方がいらっしゃるわけで、当たり前かも知れませんが、仕事には、自動販売機でジュースを買ったりするようなものは一つもありません。
 んで、長くとりとめもないお話しとなりましたが、実は、ここまでが前置きでした。要約致しますと、自慢するわけじゃないですが、私どもは、毎日、交渉に明け暮れていると。んで、変なヤツがたくさんいて、仕事はめんどくさくて、私は忙しいと。
 さて、それでですね、交渉って、怒鳴り合ったり、いろいろしますが、決して、不可逆的に決裂させちゃあダメ、少なくともマズイことが多いってことが、今回の主題です。つまり、もちろん、もう交渉決裂だ、白黒つけようぜ、って啖呵を切ることはあるわけですが、それでも、再び交渉を始められるチャンネルをどこかに残しておかないとねってことが言いたいわけです。
 日本と北朝鮮との交渉で、拉致された日本人の遺骨が、本人のものじゃなかったと。そりゃあ、ひでー。名古屋簡易裁判所の○○っていう女性裁判官のすることと同じくらい、ひどいと思う。あの被害女性の両親のことを、画面で見てて、何となくむかつくかどうかには関係なく(ホント、関係ないですが)、日本政府発表のとおり遺骨が本当に本人のものじゃないんだとしたら、ひどい話しだと思う。でもね、まず、「骨」「骨」って言うんなら、殺して骨を送るぞ、なんてことにもなりかねなくって、そんなことにも気を付けながら、交渉をしないといけない。あの女性の両親は、交渉決裂だ経済制裁だ国際的シカトだ金政権打倒だ宣戦布告だとか、まあ、いろいろ言ってて、私なんか、鬱陶しいと思うけど、まあ、そんなこと言ったらマズイ雰囲気だし、って、言いたいことは、交渉決裂って、だいたいそんなん、その瞬間、気持ちいいだけで、まあ、松岡洋右の「国際連盟脱退」みたいなもんに過ぎないってことです。たしかに、交渉ってのは、席を立っちゃうのが、格好よく見えるし、チョー気持ちいいんですが、それはあくまで一時の気持ちよさ、というだけです。世論やクライアントの一時の感情には反するかも知れませんが。国際連盟脱退のあの時も、世論は諸手をあげて脱退を支持したそうだけど、その先に何があったのか、みんな忘れちゃったのかな。
 どんな相手方に対しても、タフな交渉を粘り強く続けること、もちろん、交渉打ち切りは、相手にとっても失うことがあるわけで、って、ない場合もあって、それはそれで困っちゃうわけですが、なければ、それをなんとか探してきて、それで、交渉終了は、あくまでもちらつかせるだけにして、なんとか妥協点を探る。それが大事なわけです。たいていの場合。
 そんなわけで、年末のこの時期も、私は、タフなネゴシエーションを続けています。いろいろありますが、頑張っています。
 今年も、たくさんの事件が越年となります。一度くらい、手持ち案件がゼロになる瞬間というのを迎えてみたいと思いつつ、そうなったら、それはそれで、ちょっと困ったことになるわけで、私も、現実というものを、よくわきまえるようにもなりました。
 皆様。2005年も、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。