銀座数寄屋通り法律事務所[旧 中島・宮本・溝口法律事務所] >HOME

弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2014.10.24

中村修二氏の特許裁判

 今年のノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏と言えば、なんと言っても、日亜化学に対して提起した発明者報奨金の請求の裁判が思い出される。
 日亜化学に勤務していた中村氏が、退職後、青色LED関連の発明で特許を得ていたかつての勤務先に、200億円の報奨金を求めた訴訟だ。一審の東京地方裁判所は、中村氏の言い分を認め、中村氏の報奨金を600億円余りと算定して、裁判での請求額200億円の満額を認めた(平成16年1月30日)。この判決は、当然のことながら大きなニュースになって、事件に関係なかった私も、知的財産権問題に詳しい弁護士ってことで取材を受け(はい、ここ、笑うところです)、テレビやら新聞やら雑誌やらでコメントさせてもらったものだ。
 この報奨金について簡単に説明しておくと、本来、発明について特許を受ける権利はその発明をした個人にあるのが原則だけど、サラリーマンが、会社の仕事として研究・開発して完成した発明(職務発明)については、事前に、就業規則等で、その権利を会社が譲り受けられるように決めておくことができることになっていて、多くの会社では、そのような取り決めがある。その場合、会社は、その社員に「相当の対価」(報奨金)を払わなければならないとされていて、平成17年3月までの制度では、この相当の対価は、会社の規則でどんな風に決めてあっても関係なく、その発明によって会社が受けることができる利益と、その発明がされるに当たっての会社の貢献度を考慮して、(最終的には)裁判所が決めるってことになっていた。ちなみに、平成17年4月以後の現行法では、この報奨金は、原則として会社と社員との間の自主的な取決めで定められた額にするけど、この取決めが不合理な場合は、改正前と同様に裁判所が決めるということになっている。
 そして、上記の一審判決は、日亜化学が青色LED関連特許を独占できることによる利益を約1200億円余り、中村氏と日亜化学の貢献割合を50%ずつとして、報奨金は約600億円になると算定した。
 日亜化学は東京高等裁判所に控訴。東京高裁は、裁判の対象となっていた発明・特許に限らず、中村氏の在職中の職務発明すべての相当の対価を、6億円余り(遅延損害金を加えて8億円余り)との判断を示した上で、双方に和解を勧告し、結局、この内容で和解に至って事件は収束したのだが、この和解勧告を受けての記者会見で、中村氏が、怒り心頭で「この国の司法は腐っている」と発言したことも大きな話題になった。
 日本の司法が腐っていることについては、特に異論はない。でもね、サラリーマンだった中村氏が、600億円もの報奨金を得るのが正しいとは思わない。理由は簡単。
 企業内の研究で、青色LED発明のような画期的な成果が出る確率は、どれだけ大きめに見積もっても100分の1以下のはずだ。1000分の1以下かも知れない。多額の投資をして、1000回に999度は失敗する(その場合、研究費を負担するのは、サラリーマン研究者ではなく、企業の方だ。)のに、1000回に1度、成功したら、その成果をそのサラリーマン研究者に50%を持っていかれるとするなら、企業は、ハイリスクな技術開発への投資をすることは絶対になくなってしまう。中村氏は、成功者に対し多額の報奨金を支払うことが、研究者にインセンティブを与え、その結果、この国の技術も産業も発達すると主張するが、それ以前に、企業が研究開発への投資を止めてしまう以上、企業内に成功者が生まれること自体がなくなってしまうし、この国の技術の進歩も望めないことになってしまう。
 中村氏が、研究成果の大部分を獲得したかったのなら、初めから、出資を募るか借入をする等して、自ら、研究資金を調達すればよかっただけの話だ。ドクター中松氏を挙げるまでもなく、そのような人はいくらでもいる。サラリーマンとして安定した給料はもらい、仮に何の成果が上がらなくても、それによる損失・コストを負担することはなく、成功した場合だけ、大きなリターンが得られるという思い込みが正当なはずはない。
 中村氏の発明は確かに素晴らしいものだ。ノーベル賞の受賞に文句があるわけではないけれど、中村氏の考えが独りよがりのものかどうか、少なくとも金のもらい方についての彼の考えが正しいかどうかはまったくの別問題だ。

宮本の本棚から

「日本の風俗嬢」中村敦彦

 私は、「飲む」のが専門で、「打つ」と「買う」には全く縁がない。なので、本書には知らないことが多かったのだが、日本の風俗嬢についてのデータが数々(多くはこの著者の推計)。
 日本には、もろもろで合計1万3000の風俗店があって(デリヘルが7割程度を占める。意外)、約35万人の現役の風俗嬢がいる。これは20歳から34歳の女性人口から推計すると日本人女性の28人に1人の計算。これ以外に経験者や、街に立ったり出会い系サイトを利用したりして個人で売春をしている女性も相当の数がいるらしいから、外国人や高齢者(熟女ね)の存在を考慮しても相当な高率だ。
 それから風俗嬢の月収は、週に4日の稼働として、高級ソープランドでは100万円以上になるが、それはほんの一握りに過ぎず、格安デリヘルや地方のピンサロになると20万円から30万円程度。風俗嬢に対するあるアンケート調査(2014年)によると、平均年齢は30.4歳、平均月収が34万6000円。カラダを売る覚悟をしても高収入が望めるわけではない。
 そればかりか、最近では、風俗嬢が供給過剰で、主に容姿(本書の表現では「外見スペック」)の問題から、風俗嬢になりたくてもなることができない女性が増えているという。風俗店に面接に来た女性のうち、採用されるのは3人に1人程度。すなわち、風俗は、もはや貧困に悩む女性にとっての最後の手段としてのセーフティー・ネットではなく、選ばれた女性が就くような職業になってしまった、と。
 現実って、いつものとおり、とっても残酷。
 ラストに少しだけ問題解決のための提言(みたいなの)が書かれていて、そこは読む価値ないけど、本書の大半を占める現状の分析にはそれなりに説得力があって新鮮だ。それとも、私が知らなかっただけのことに過ぎないのか。