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弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2017.01.30

見たくない現実を見ることから

 正月休みに読んだ英国の経済学者による「ライフシフト」では、長寿化が進み、人が100歳を超えて生きるようになった場合の生活資金計画が試算されていました。それによると、毎年の所得の10%を貯蓄して(自らに当てはめて考えてみてください。相当大変なことが分かると思います)、老後の生活資金を最終所得の50%確保しようとするなら(同じく、かなりギリギリと思います)、85歳で死ぬとしても、人は70歳代前半まで働き続ける必要があります。100歳まで生きるとなれば状況はさらに厳しく、80歳代まで働き続ける必要があることになります。
 しかしそうしますと、人の寿命が70年だった頃と比べ、30年間長く生きられるとしても、20年間以上、長く働かなくてはならないことになり、一体、長寿って恩恵なのでしょうか。それとも、災厄というべきなのでしょうか。それはともかく、1970年代生まれの私たちの世代(第二次ベビーブームの頃です)は、平均寿命を85歳としても、90歳を超えて生きる人も多いはずです。まして、私たちの世代の子供たちは、100歳を超えて生きることが普通になるでしょう。しかしながら、多くの人が80歳を超えてまで働き続けられるような仕事や制度設計は、この国のどこにもありませんし、誰も準備していません。
 誰も考えたくないことは、考えないからなのでしょう。
 思い出したのは、猪瀬直樹氏の「昭和16年夏の敗戦」です。
 日米開戦前の1940年、政府は、各省や軍部などから数十人の優秀な若手を集めて研究所を設け、もし日米が戦ったらどうなるかのシミュレーションをさせました。開戦直前の1941年(昭和16年)夏に出された結論は、「緒戦は勝つものの、国力の差から劣勢になり、最後は必ず負ける」でした。しかしながら、それを聞いた陸軍大臣の東条英機は、素人判断と一蹴し、研究所メンバーに緘口令を敷いてしまいました。
 暗い未来予想は、もちろん聞いて嬉しく感じられるものではありません。だからといって、そこから目を背けてしまうことは許されないはずです。特に、その判断が、多くの人に影響を与える立場にある者にとっては、不都合な真実、見たくない現実こそ、直視しなければなりません。
 最近、この国で目にすることが多い未来予想図の多くは、2020年の東京オリンピックまでのものです。それまで好景気が続くか、一度中折れするか、逆に下降線を辿るのか。米国の新大統領の政策や、中国の動向、英国のEU離脱の影響を絡めて予想するといった類のものばかりです。「2025年問題」なんて、言葉だけは聞くのですが、その解決についての真摯な議論はあまりされていないように見受けられます。
 しかし、この国の将来、つまり、もしかすると100歳を超えても死ぬことができない私たちの多くに降りかかる重大な問題は、2020年の先にあります。まさにそれが2025年問題なわけですが、空前の財政赤字を抱えながら、超高齢化が進み、他方で、少子化によって労働人口は激減するわけで、つべこべと理屈を並べるまでもなく、国の財政破綻と地方の過疎化・消滅は確実です。遅かれ早かれ、多くの日本人が、生活苦の中で介護の負担を抱え、やがて、今の若い世代は、介護も病気の治療も年金もまともに受けられることのないまま、老い、そして死んでいくことになるのでしょう。
 誰もが2020年のその先の未来予想を避けるのは、このような結論と向き合いたくないからなのだと思います。もちろん、その気持ちは分かります。よく分かります。しかし、未来を語ることの意味は、現実を直視することからしか生まれることはありません。それがどれほど見たくないものであったとしても、つらいことであったとしてもです。