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to be a Rock and not to Roll 宮本 督
まわりみち(DETOURS)
 ジャクソン・ブラウンとシェリル・クロウという豪華な顔合わせながら、東京国際フォーラムは空席だらけだった。70年代のウエストコースト・ロックの大ベテランと、90年代のグラミー・クイーン。ブルースやカントリーをベースにしたロックミュージックが好きな人には、たまらない組み合わせだと思うのだが、ここまで年の違いがあると、両方とものファンだという人は意外に少ないのかも知れない。
 というのも、ロックを含むヒットソングというものは時代の属性物という側面を避けられないからだ。私自身、中学生の頃から四半世紀以上に及ぶロックファンだが、今も日常的に聴いているのは、中学生や高校生の頃、夢中で聴いていたミュージシャン達の曲が多い。結局、人の好みのスタイルというものは10代で確立され、その後、本質的な部分に変化は起きず、新しいものは受け入れにくくなっていくのだろう。
 しかし、私にとって、シェリルの音楽は貴重な例外だ。初めてシェリルの曲を聴いたのは93年。23歳の時だった。友人の車の中で、その友人がCDからダビングしたというカセットテープから、彼女の歌声が聞こえてきた。私は、その時の驚きと感動を、今でもはっきりと覚えている。もう10代ではなかったし、女性のボーカリストには、もともとあまり興味がなかったのだが、それでも、その音楽は私の好みのド真ん中を直撃した。
 ジョイントコンサートは、先輩のジャクソン・ブラウンが前座で、シェリルの方がメインの扱い。シェリルは、オープニングの後、「Leaving Las Vegas」を取り上げた。ネオン街での仕事を辞め、新しい夢への希望の光にすがってラスベガスを後にする女性の物語が切々と歌われる。彼女のデビューアルバム「Tuesday Night Music Club」に収められている作品だ。
 シェリルのデビューは93年。「Leaving Las Vegas」の主人公のように、マイケル・ジャクソンのバックコーラス等、長い長い下積みを経て、31歳での遅咲きだった。このファーストアルバムが大ヒットし、その後の作品もすべて、セールス面で大きな成功を収めただけでなく、グラミー賞も次々と獲得していくことになる。
 23歳の私が衝撃を受けたのがこのデビューアルバムだった。当時の私は、大学に籍はあったものの、就職活動等はせず、司法試験の勉強をしていた。生来、楽観的な性格ながら、さすがに将来への大きな不安を抱えていた私だが、2年後の95年に無事合格し、弁護士登録をして間もなく独立。その後、事務所は毎年のように規模を拡大していくことになった。
 一方、シェリルは、成功ロードを驀進した後、2002年に「C'mon C'mon」、2005年には「Wildflower」という、いずれも悪いデキではないのだが、やや消極的でメリハリに欠けるアルバムを発表し、迷いと試行錯誤の中にいることを感じさせることになる。当時やその後のインタビューによると、同時多発テロや、ハリケーン・カトリーナといった社会的な事件に大きな衝撃を受けただけでなく、プライベートにおいても、婚約の破棄や乳ガンを患う等の問題を抱えていたこと、その後、男の子を養子に迎えたこと等が語られている。
 しかし、シェリルは、2008年、デビューアルバムと同じプロデューサーを迎えた新作「Detours」で復活する。強くて冷静でカッコいいイメージだった彼女だが、この作品では、悲しみをこらえきれない弱さを、率直に過ぎるほど率直に、かつエモーショナルに表現し、私は、23歳の時以来の感動を覚えた。
 シェリルは、コンサートの中盤、乳ガンの経験や息子の成長について静かに話した後、このニューアルバムから、タイトルトラックの「Detours」を歌った。detourとは、「回り道」とか「遠まわり」という意味。夜道に迷い、あらゆる回り道を通って愛を見付けた途端、それが消えてしまったこと、心がすり減ってしまい、いつかまた愛する人を見付けられるか心配なことを、母親に向かって訴えかける内容だ。長年の悩み、戸惑い、動揺、別離、不幸を経て、今でも明日への希望がもてない、そんな私生活での焦燥と葛藤と絶望を、声を絞り出すように告白する歌で、客席の心をダイレクトに鷲づかみにしてみせた。
 一転、コンサートの終盤は、お約束のヒットパレードで大いに盛り上げた後、アンコールでは、ジャクソン・ブラウンをステージに迎え、一緒に彼のデビュー曲「Doctor My Eyes」を歌った。共演は、リハーサルが充分でなかったようで、あまりデキのいい演奏ではなかったが、そんなことは大事なことでないと思えた。
 93年に、私が初めてシェリルの歌声を耳にしてから短くない歳月が過ぎた。私にも、シェリルにも、いろいろなことが起こった。得たものも少なくないが、失ったものはもっと多い気がする。回り道もたくさん辿った。しかし、私も、シェリルも、そしてジャクソン・ブラウンまでも、今、ここにいる。一番大事なのは、そのことだ。私たちは、生き残った。そして、それぞれの人生の中での様々な出来事の堆積の末、ここ東京・有楽町のコンサートホールにいる。私たちは、今日までの日々を生き延びてきたし、これからも、それぞれの場所でそれぞれの戦いを続け、時に、遠まわりの回り道を通らなければならないとしても、一歩一歩、歩き続けていかなければならない。
 コンサートの後で馴染みのバーに立ち寄り、いつものように酔っ払って、ぼんやりとそんなことを考えていた。
(2010.03.25)
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