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弁護士 宮本 督

エッセイ:
to be a Rock and not to Roll

2013.04.29

ボストンの悲劇を超えて

 ランナーでもある作家の村上春樹氏は、雑誌「NUMBER」の2011年4月号に掲載されたインタビューで、これまでに出場した中で印象に残っているレースを訊ねられ、次のように応えている。

 「ボストンに勝る大会はないですね。6回くらい走ったけど、街のDNAとしてマラソンが染みついているんです。ボストンマラソンなしにボストンという街はないんじゃないかというぐらい不可分の存在なんですよ。街の営みのひとつとして溶け込んでいるんです。(中略)ゴール後はよく冷えた地元のエールビールを飲んで、牡蠣を食べに行って幸福な気持ちになれる。「よくやったね」とウエイトレスが背中をとんと叩いてくれる。レースというのはそういう風にあるべきだよね。お祭り騒ぎである前に。」

 ランナーであってもなくても(少なくともランナーであれば)、こんな話を聞いてしまうと、一生に一度くらいはボストンマラソンを走ってみたいと思うのではないだろうか。実際、ボストンマラソンは、世界中のランナーの憧れの大会だ。毎年4月半ばの月曜日、「パトリオット・デー(愛国者の日)」というマサチューセッツ州の祝日に開催される。今年の大会は117回目で、第一回大会が開催されたのは1897年。その歴史はオリンピックに次いで古く、オリンピックは4年に一度しか開催されないから、開催数では世界一を誇る大会ということになる。
 そんなボストンマラソンのフィニッシュラインの直ぐ手前で爆発が起きたのは、スタートから4時間10分近くが経過した頃だった。
 私自身、ランナーの端くれとして、大会に参加して事件に遭遇したランナーの気持ちを思わずにはいられない。多くの日本人も参加していたし、あまり報じられていないようだけど、今回のボストンマラソンの参加者の中には、昨年12月に起きたコネチカット州の小学校での銃撃事件で犠牲になった子供たちの、その親たちもいた。子供たちへの追悼の意味を込めて参加していたという。フルマラソンを走る意味は人それぞれだ。もちろんタイムや順位には関係なく、一人一人に物語がある。
 ランナーは、仕事や家事の合間のトレーニングを積み重ね、初めての4時間切りを目指して、憧れのボストンマラソンに参加するため、初めて東海岸の地を踏んだ。緊張や時差ボケで寝不足だったせいもあるかも知れないし、給水の失敗のせいかも知れない。あるいは、この日の気温か、ペース配分の誤りのせいで、あと少しで目標の4時間を切ることはできなかった。それでも、4時間10分を切ることができれば自己ベストだ。ランナーはそう思って、折れそうな心を立て直して、ゴールを目指す。ゴール地点の声援は、とても賑やかだ。ランナーは、大きくはないけれども、それでも確かな達成感を胸に最後の直線を駆け抜ける。その瞬間、耳をつんざく爆音と、爆風による衝撃が襲う。応援席から悲鳴が上がり、蜘蛛の子を散らす大混乱の中で、いったい何が起きたのか理解できない。
 犯人捜しが終わると、報道は、背景事情と動機の探索に移っていった。当然の反応なのだろうが、私個人の極めて正直な感慨は、米国における人種的なあるいは宗教的なマイノリティーを取り囲む政治的・文化的な問題といったことよりむしろ、いわば街のDNAとして定着し、世界中のランナーの憧れであるマラソン大会がテロの標的とされたこと、そして犠牲者が出てしまったことの方に、むしろ比重がある。そして、そのことが、ただ悲しい。
 救いだったのは、事件の直後、早くも翌年のボストンマラソンの開催が宣言されたことだ。
 2001年の同時多発テロ事件以来、米国人たちの、社会に様々な矛盾を持ちながら、それらも自分達の一部として、いわば丸抱えしたまま引きずってでも、ひたすら前進しようとする強い意思の力を感じさせるニュースが多い。むろん、「連帯」や「アメリカ人気質」といったことを強調する報道の偏向と恣意性に鼻白むことも多いのだが、それでも、その圧倒的なパワーには感嘆せずにはいられない。
 怪我人の治療に当たっている医師が、テレビのインタビューで語るのを聞いた。
 「マラソンを走り終えたランナーの方々が、事件直後から病院に直行して献血を申し出てくれています。本当に感謝しています。」と。
 やはり、いつかの日か、走ってみたい大会だ。なんとかゴールすることができたら、(願わくば)オープンカフェに席を見つけ、よく冷えたエールビールを注文しよう。そして、自らがボストンマラソンの長い長い歴史の一部に(とても小さな一部だけどそれでも)なれたことを、静かに祝おう。そして、街の人々や世界中から集まったランナーたちと共に、被害を受けた人々のことを思い、ボストンが2013年の悲劇を乗り越えたこと、少なくとも乗り越えて前に進もうとしていることに、祝杯を上げるのだ。